八坂神社について 八坂神社について

当社の由緒は古く、上野国新田祇園牛頭天王縁起によると、貞観十八年(八七六年)丙申に上野新田のほとりに、 社を作らば静まるべしと、当所に鎮め奉る。
建武の頃、新田・足利両家の尊崇あり、新田の天王と称す。
人皇六十四代円融院の御時天禄元年(九七〇年)に、 都八坂の祇園社で、祇園祭を行い給いしより、 天禄三年(九七三年)に当社も祭礼として行われた。
世良田政義の娘と尹良親王との間に生まれた、 良王が津島天王社の神主になり。
正保年間(一六四四~一六四八年)に尾張津島天王社から当社に分霊した。永禄日記(長楽寺文書)に天王マツリヲイタスとあり、引き屋台を運行し、神興渡御を行う。
厄除け、方位除けの神として信仰を集め、各地に分社が作られた。
明治の神仏分離の際、神宮寺は廃寺になり、社名を八坂神社とした。
鎌倉時代より伝わる狛犬
八坂神社の狛犬は、両前足を前後にした動きのある姿勢や束毛とやや形式化の見られる巻毛を交えながら整理されたたてがみになっており、その彫刻の特徴から鎌倉時代後期に制作されたと推測され、現在は新田荘歴史資料館に収蔵されています。
造形は迫真的で気迫があり、特に胸部は逆Y字の稜線を作り緊張感が素晴らしくその処理は圧巻で、玉眼の効果が抜群であり最古例に属する可能性もあると言われています。
(写真提供:太田市教育委員会)
宮司より皆様へのご挨拶
この度は、当社のホームページをご覧戴き誠に有難う御座います。
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八坂神社の御神徳・世良田祇園祭の歴史をご理解頂ければ幸いです。
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